ポーランド 「国際アートキャンプ」に参加して

 2012年6月、ポーランドのブロドニツア市にて開催の国際アートキャンプに招待参加させていただくという機会に恵まれた。私にとっては、初めての海外での版画制作となる。今回、高岡から参加する洋画家の内多峰明さん、佐藤カオル子さんと共に、他国の作家さんと過ごし、2週間で2作品を仕上げて展示してくるという内容に不安と緊張を覚えながら日本を出発した。
 関西空港を朝飛び立って、フィンランドのヘルシンキを中継し、約15時間のフライトで到着したポーランドの首都ワルシャワは、現地時間の夕方6時過ぎだった。主催者のアンジェさんとヤヌシさんが迎えに来て下さっていた。そして、そこから約200キロ北西のブロドニツア市へと向かった。途中9時過ぎまでは外はまだ明るく、9時半を回ってようやく夕方から夜の暗がりへと移っていった。長いフライトと緊張とで、車の中ではあまり言葉を交わすことなくうとうとしながら揺られていた。ヤヌシさん運転の車は、100キロ近くのスピードでとばしていた。バホテック湖畔のキャンプ地に着いたのは、10時半を回っていた。あたりは暗く静まりかえっていた。遅い夕飯をいただいて、その夜は、案内された2階の部屋で休み、翌日からは制作するバンガロウでの生活となった。
 キャンプ地は、美しい自然の中の湖畔だった。そこは、世間の喧騒から隔絶された全く静かで自然の生き物たちと共存する別天地だった。夜はいつまでも暮れず、朝は早くから明ける。時間が、湖面に広がる波紋のようにゆったりと流れ、一日がまるで日本の倍ぐらいの長さに感じる不思議な世界だった。
 前半の一週間、5日目ぐらいまでは自分の制作のことで頭がいっぱいだった。キャンプ地に来て感動したおもしろい形の木の葉や、珍しい不思議な草花などを次々とスケッチした。天に届きそうなくらいまっすぐに伸びた松林、その中にあるバンガロウは、白雪姫の小人達の家のように思えた。まずは、このおとぎの国のような印象を作品にすることにした。スケッチをもとに下絵を描き、版木に転写して彫り進めた。版木への転写は勝手が違って、普段のやり方を変更せざるを得なく、二度手間をとってしまったが、なんとか彫りに進むとやっと見通しがつき、ためし刷りまでくるとほっとひといきだった。この不思議な世界は裏彩色用の和紙の二種類に刷っておいた。
 後半は2枚目に取り掛かった。2枚目は、湖畔に突き出たさんばしの風景。手前の大木の葉のそよぎ、さんばしで釣りする人、すぐそばまで近づいて優雅に泳ぐ白鳥たち。湖畔で迎えてくれた象徴的な風景であり、毎日必ず何度も通る一番なじみの場所ともなっていた。これまで写実的な風景画に取り組むことの少なかった私にとっては制作しづらいものだったが、どうしてもここは作品に残したかった。彫りにかなりの時間を費やした。
 約20号の木版画作品を、実質10日間で2枚仕上げるというのは、正直言ってかなり大変だった。スケッチ、下絵づくり、転写、彫り、刷りと工程が多く、日数を意識しながら焦りの制作だった。途中、小鳥のさえずり、木々のそよぎ、刻々と変わる湖面の表情、ベランダに訪れるかわいいリスに励まされた。初めて間近に見たリスは、すばやく木に登り、軽々と枝を飛び交い、地面に降りては、しなやかに飛び跳ねていくのだった。
 日数も迫り、展示作品の写真撮りに回ってこられたときは、まだ刷りの真っ最中だった。実際に刷っているところを見てもらうはめになってしまったのだが、かえって刷りにとても興味を持たれ、何度も写真に撮られた。その後、刷りの終始をビデオにまでおさめられた。気恥ずかしさもあったが、西洋の版画と言えば、エッチングやリトグラフなどが主流。木版であっても小口木版画がほとんどなので、私のようにバレンを使って刷り上げる素朴な木版画は、かえって珍しく日本的に見えたのかもしれない。ともかく、木版画に関心を持ってもらえたことは嬉しかった。こうして私は、ぎりぎりになって、湖畔とバンガロウの風景の白黒版画の2作と、おとぎの世界のようなバンガロウは裏彩色を施した作品も加え、計3作品を提出した。
 最終日、ブロドニツア市の旧市街地入口にある古いシャトウのミュージアムで、私たちの展覧会は開かれた。歴史を思わせる古い煉瓦造りの地下の一室は、素晴らしいアート空間となっていた。私たち日本人の作品は、主催者アンジェさんの作品の両袖と奥の正面を占めていた。

 約2週間共に過ごしたポーランドと隣国の作家10数名とは、制作と様々な活動を通して交流も生まれ、多くのことを学ばせてもらった。その中でも忘れられない一つは、初めてのカヌー体験である。
サンセットの美しい夕方、カヌーに乗ることになった。私にとってパウルさんと組めたことは幸運だった。初めてのカヌー、私は漕ぐことばかり考えていた。ところが、パウルさんは湖面の真ん中あたりに来たとき、オールをとめ、じっと耳を澄まし、天を見上げたまま動かなかった。私たちを乗せたカヌーは、自然に向きを変え、ある一定方向でとどまり、動かなくなった。あたりがし~んと静まり返った。私はそのとき、自分が水鳥になって水面に佇んでいるような錯覚に陥った。天空がとてつもなく高く大きく広がり、湖面がやけに広く感じられ、水面下の生き物の息づかいまでが伝わってくるように思えた。全く自然と一体化している自分を感じ取った不思議な体験をしたのだった。そのあとカヌーは水面を音もなくすべった。湖畔の葦の茂みに近づくときには、そこに生息する生き物の邪魔にならないように、そっと静かにオールをとめる。耳を澄まして茂みをじっと見つめれば、見えないけれどもそこに確かに居る生き物の気配が伝わってくるのだった。ここでは、カヌーは乗り物ではなく、自然と共に過ごすための一つの道具であることに気づかされたのだった。
 また、彼らの自然の楽しみ方が本当にすごいと感じたのは、3時間半歩き通しで平気だった湖畔ウォークだ。常に自然を邪魔しないようにと気遣いながらも様々なものを見つけて歩いていく。そういう楽しみ方には学ぶところが多くあった。
 そして、私の意識が大きく変わったのは、アートに対する捉え方だった。エッチングの版画と聞いていたパウルさんは、部屋をギャラリーとして小作品を展示して見せてくれたが、キャンプで制作されたのは現代アート。さらに自然の小枝や切り株の面白さに遊んだ造形アートを楽しんだり、偶然出会った蜘蛛の糸の美しさに目を留めて観察したり、水面や地面に表れたちょっとした形や色に創造を見出したりと、自然から受けるインスピレーションが、パウルさんのアートを作り出していた。見るもの全てが創造活動に繋がり、全てがアートとなるのだった。また、ポーラさんが描かれたのは、淡くやわらかな色調のほんわりした心休まる絵だったが、名刺代わりに頂いたリーフレットには、立体の作品群が掲載されたものだった。彼女にとっては、平面の絵画も立体の造形も区別なく、自分の創造のための一つの手法にすぎないようだった。そして、レナータさんは、一気に10数枚ものキャンバスを並行して制作を見せてくれた。ローラーや刷毛を使っての大胆かつ確かなデッサン力でスピーディーに描き進めるやり方に目を見張った。制作過程を余すことなく見せてくれるところに、その人の世界があり、また自分の世界もぐんと広がるのを感じることができた。油絵、日本画、版画、立体などは、あくまで創造の方法のひとつにすぎないのではないか。当たり前のことなのに、あたかも技法が専門職のように思われて、専門を極めなければプロではないと狭い捉え方になっていたように思った。そして、当たり前ではあるが、制作方法は人それぞれということ。さらに、創造から生み出されたものは全てその人そのものであるということを再認識した。

 キャンプ地を管理するヤヌシさん一家と、事業のオーナーであるアンジェさんご夫妻をはじめ皆さんにはとても良くしていただいた。日本語でも話しかけて下さった。皆さんが一生懸命日本語を一言でも覚えようと繰り返し発音される姿にふれ、英語も出来ない私だったが、ポーランド語を少しでも覚えて話したいと思った。ありがとうの「ジンクエ」とこんにちはの「ジンダブレ」、それだけでも随分心が通じたように思えたけれども、手のひらにペンで書いては何度も声に出して覚えたのは、猫のコティや蝶のパヨンク、リスのヴィジヨルカなどの身近な生き物。それからトマトのポミドル、きゅうりのオグレクなど食卓に並ぶ食材。そしてどうしても伝えたかった「ごめんなさい」の「プシェプラッシャム」だった。
 そうやって努力することで気持ちはぐっと近づけたと感じる。また、日本的な高岡大仏や瑞龍寺の版画葉書や折り紙の鶴、サンダル代わりの下駄などにも大いに興味を持たれ、日本文化に多少なりとも触れていただく機会になれたことは嬉しかった。

 初めて経験した国際アートキャンプ。私にとっては、まるで1年分とも思えるほどとても充実した2週間だった。
 今も心に甦ることがある。
 1枚目の作品を刷り終えて心地よい疲れで眠った翌朝のことだった。明け方、まどろみの中で何やら遠くに詠う声が聞こえてくる。しばらくは目を閉じたまま、ゆったりと詠うその声を夢見心地に聞いていた。目を開けるともう辺りは明るい。ゆっくりベットから起き上がり、ベランダに出てみると、樹幹から見える湖畔に浮かぶ一艘の小舟。舟から釣りする一人の男性。詠う声はその舟人からだった。私はそのとき、遠い異国の地ポーランドのバホテック湖畔にいながら、いつのまにか心は、

「朝床に 聞けばはるけし射水川
朝こぎしつつ 詠う舟人」

と、大伴家持が詠んだ越中万葉の世界に浸っていたのだった。

2012年 夏
水上 悦子